[Blog]飢えや渇きと共に生きる

久しぶりに、とりとめもなく文章を綴りたいと思う。

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2019年4月に記事を書いてから、1年以上が気付くと立っていた。この文章は誤字以外戻って書き換えることをしないので、おかしなところが出てくるかもしれない。それでも、敢えて今日はそんな気持ちで書きたい。

2020年6月、僕は個人事業主として税務署で手続きを終えた。仕事を辞めて、ずいぶん経った。久しぶりに働いている感覚を覚えるようで、実はあまり働いていない。

今僕がやっていることは、週に2日写真や文章を中心としたコンテンツをオンラインで発信する補佐と、NPO法人に所属して地域とか移住とかまちづくりとか、わかるようでわからないところでお手伝いしながら生きられるだけのお金をいただいている。

だから、どれだけモヤモヤしても週に2日だけはしっかり働く。といっても、嫌なことは断っている。僕ができることを、僕がやりたいように表現させてもらえているのかはわからない。それでも、この週2日というのはバランスが取れていてなかなかにやりやすい。そしてNPOについては、基本面白いから一緒に行動させてもらっている。僕の地元にこんな人たちがいることが嬉しくて、そのメンバーから学ぶことがとても多い。それはビジネスだったり、チームについてだったり、地元についてだったり。

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ここに来るまでは、中々長くてシンドイ生活をしていた。というか、しんどかった。

さっきなんとなく、「飢えと渇き」について頭の中で考えていた。今日はこのことを書こうと思った。

僕が会社員として働いていたころは、どうにかして幸せになろうと思っていた。同時に家族を幸せにしたくて、僕も会社でオモシロイ仕事をして、さらに音楽活動でも成功したいという野望だらけ。

それが、5年勤めて音楽活動も始めて仕事を辞める決心をしていざ職場を離れたら、良くわからなくなった。

僕は、何と張り合いながら生きていたんだろう。

年収はそのまま行けば1000万円を超えていただろうし、休みも希望通りに取れる。10年付き合っていた彼女もいたし、音楽活動を共にする相棒もいた。地元には両親が元気で、姉夫婦には3人の子ども。幼なじみの家も近く、何かあれば相談に行ける。

幸せの中にいたように見える僕には、焦りしかなかった。

その焦りからどうにか抜け出すために、僕は2017年にイギリスへ1ヵ月間旅に出た。「音楽で成功する」ための旅は、道中も中々に苦しかった。

ギターを抱え、毎日路上ライブやパブでオープンマイクに通う。昼間は音楽以外にも文化や土地に触れようと歩き回る。何かを吸収するために、必死だったように感じる。その反動がたまにきて、電子書籍で日本の漫画を買って読んで自己嫌悪に陥る日もあった。

あっという間の30日間は、それでも僕の中で何かが変わった旅だった。

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何が変わったわけでもないように、また日常が戻ってきた。違うのは僕が仕事に行かないだけ。恋人も相方も、仕事をしながら僕の相手をしてくれる。

僕は毎日何ができるかを考えて、それでも音楽にかける時間はそんなに変わらなかった。音楽がやりたいと思っていたけど、音楽は僕のすべてではないことをそのころ薄っすらと感じ始めた。でも、仕事はやめた。もう後戻りできなかった。

だから、毎週ライブをした。12月末まで、音楽活動は少しずつ深まっていった。生まれてくる音楽も、何か面白くなった気がする。

同時に、何とも言えない焦りや苛立ちが僕の中に生まれていた。それは今だから言える感情で、当時は何なのかわからなかった。ただ、日を追うごとに苦しくなる。そして気付くと、僕は音楽が怖くなっていた。音楽だけなら、きっとまだよかった。

僕は身近な相方のことも、更には10年付き合った彼女のことも嫌になってしまった。

相方と2人でシェアハウスをしていた僕らは、1ヵ月1度も顔を合わせなかった。一度だけ、ライブの予定を僕が一方的に断り相方は一人で出演した。それがダメなことだとわかっていても、どうにもならなかった。どうにもならないまま日々は過ぎる。僕は何を食べて、どうやって生き延びたんだろう。覚えているのは、深夜相方が寝るまで家から出て散歩をしたこと。車の中で寝たこと。洗濯の為だけに家に帰っていたこと。8月は、車中泊とファミレスを行き来して1ヵ月生きた気がする。

誰にも会いたくなくて、でも誰かに会わないとマズイと思った。そして福岡で一度会った青年に会いに行く。彼が会わせてくれた人たちは、ある種の宗教的な感覚を持った人もいたが、それでも僕はその奥にある不思議な感覚にかなり救われた。

そして、偶然見つけた自分よりも悲劇的な女性を彼女にして、自分の悲しさを彼女を癒すことで埋めていった。彼女のことは大切だと思った。でもそれ以上に、その頃の自分があまりに自分に手いっぱいであることを感じてしまって一緒にいられなかった。彼女には2人の子どもがいて、僕が我儘を言えなかったから。

それでも、彼女がいてくれたことで僕は良いところを見せようと頑張った。

30歳の誕生日、僕は北海道へヒッチハイクをすることに決めた。いろいろなことが繋がって決めたこの旅は、今も僕の中に息づいている。それは自分がいかに弱いかを知る旅で、人がどれだけ優しいかを知る旅で、やろうと思えば案外どうになかると分かった旅。出会う人すべてが優しくて、世の中に少しだけ安心した。

その後も帰ってから車中泊は続いたが、結局彼女の近くにいたくなって新しい住処を探した。それが不思議なことに、地元から1時間の場所。今も僕がパソコンで文字を打っている部屋だ。

宿を変えてからも、以前から付き合いがあった人のイベント補佐をしたりなぜか写真家になったり、気付けば写真を撮ることも仕事の一つになっていった。そしてこのサイトをつくると、文章を綴ることも仕事の一つになった。

少しずつ肩の力が抜けていった中で、2018年4月にヨーロッパへと向かった。

カメラとギターは持って行ったが、それ自体に意味はなかった。僕はミュージシャンでもなく、フォトグラファーでもなく、ただナカニシミツヒコとして旅をした。

どきに向かうかも決めず、出会う人に活かされて次の旅路を決めた。現金はなんとなく、ギターだけで稼ぐと決めた。決めたら、「お金を稼ぐ」ことが目標になって苦しくなったので途中でやめた。それでも、最後まで音楽は僕に人の繋がりをくれた。

イタリアから始まった旅は、9ヶ国を旅してアイルランドで終わった。3ヵ月かけた旅は、地元の水害というきっかけで終わりを告げる。まぁ、帰ってからも僕は無力でボランティア一つできなかったから帰らなければよかったと何度もおもったけど。そしたら、ブラジルからアルゼンチン・チリ・メキシコを経由してアメリカとカナダに向かっていたと思う。まぁ、それはそれ。

とにかく、帰ってきてしまった。そこから1年間は、正直何も起こらなかった。

僕は、ヨーロッパの旅をして何度か「飢え」を経験した。それはお金だったり、食だったり、もっと危ない命だったり。自分が決めたルールで、なぜか道路を見ながらお金が落ちていないか探したことが多々あった。

宿代が高すぎるときは公園のベンチで寝るし、食事はスーパーで必要最小限。僕のエネルギー源は500g150円くらいのチョコレートビスケットだった。

食事はコストがかかる。どれだけお金を使わないかに、気付いたら囚われていた気がする。だからスペインのサグラダファミリアにも、ミラノのドゥーモにも、パリのルーブル美術館にも入らなかった。

これが良かったのかはわからない。それでも、僕はお金を使わない楽しさや美しさをたくさん見ることができた。それは偶然イタリアからフランスに戻る予定だったHeleneと出会って実現したスイスのアルプスを越えるドライブだったり、僕のSNSの何気ない投稿からオススメを教えてくれたKimが言ったスペインのモンセラットだったり、スペインのセビリアやグラナダだったり、モロッコのメルズーガだったり、アイルランドだったり。

飢えが僕を活かしてくれた。求めることを辞めて身を任せたことで、僕は漂うことができた。

僕にとっての「飢え」は、必ずしも怖いモノではなくなった。

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帰国すれば、特別な存在だった僕はただの日本人に戻る。そんな感覚をもちながら、特に何をするわけでもなかった。音楽活動を再開して、何カ所かで歌を歌った。でも、そのたびに「何者かになろう」と必死な自分が顔を出しているようで気持ち悪かった。だから音楽はしばらくお休み。

そうやっていたら2019年になり、僕は32歳になった。折角なのでこの機会に相方に会いに行っていろいろと話をした。結構勇気が必要だった。そういえば、大好きだった福岡も今は少し気が引けているのは、自分の過去に後ろめたさがあるからだろう。相方は笑って僕を許した。

そんな自分のことを、僕はまだ上手に許せずにいる気がする。飢えにはなれたはずが、少しずつ渇きを味わっているような。飢えと渇きは僕の中で何か違って、飢えは何かを生み出す手段、渇きは欲望を満たす願望のような。ここは、良くわからない。いま思い付きで書いた節がある。

とはいえ、飢えることが僕の人生を彩ってくれるような気がして結構頑張った。その頑張りは、今一つの形になったような気がする。

冒頭で書いたように、6月から僕は個人事業主になった。理由は簡単で、お手伝いしていただく金額が少し大きくなったから。税金を払わないと脱税になるのは困る。そんな、些細なこと。

それでも、今まで毎日生きるコストを考えていたのが急に他の事に思考を回せている。

「僕は何がしたい」

これが、とても幸せであることは言うまでもない。よく目標を立てて生活しようという言葉を聞くのだけど、僕は結構前に諦めている。あと、最近企画書を書くこととかも諦めた。0から1を描くのはどうも苦手らしい。そのかわり、目の前にある1を10とか20とかに広げるのは得意みたい。

そして、良いモノを選ぶのも得意みたい。あと、言葉を選ぶのは好き。良いか悪いかはおいておいて、視覚的にもリズム的にも心地よい文章であってほしいと思う。だから、こうして文字を書く時間は好きだ。

綺麗な物、カッコいいモノも好きだ。あと、女性は綺麗な人が好きなんだと最近やっと気づいた。それは外見だけではなくて、所作とか言葉遣いとか思いやりとか、そういう優しさを備えた人にすごく惹かれるみたい。とはいえ女性と出会う機会がとても少ないインドアな僕にとっては、どうしようか悩ましいところなのだけれど。

あぁ、そうだ。もう一つ、1年くらい前から変わっていることがある。それは、よく神社や実家の仏前に行く機会が増えたということ。やることはいつも同じで、「いつもありがとうございます」というだけ。実家では、そこに加えて近状報告をしている。大好きだった祖父母への報告と、僕が知らないご先祖様への感謝と。以前「一日参り」という、ビジネスの話を聞いてからしばらくして始めた。

たぶん、特に意味はない。ただ、目に見える世界がほんの一部だっていつかどこかで気付いたから。

心地いいと思えることは、続けようと思う。

モヤモヤすることは、早めに離れた方が良い。

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そんな、取り留めもなく文章を書いて1時間が経った。

今日の文章にも、特に意味はない。でも、意味がないけど書いておきたいことを書いたのはもしかしたら初めてかもしれない。

僕はこのサイトをAya-Na-Shi-Gotoと名付けた。

文無:あやなしという言葉にすごく引っ張られて、いろんな言葉を足し合わせて。綾成が増えて、仕事が増えて、言が増えて。いろんな意味を纏ったことばだけど、僕の中では漂うような存在。

久しぶりに言葉を書いた気がする。

僕は良く「無駄な情報が多いな」と苦しくなることがある。それは、だれでも情報発信ができるようになって、言葉が増えて、写真が増えて、動画が増えて、情報が爆発しているから。そんな時は「くだらないことは書くな」と本気で思う。世の中にごみを増やしてしまう感覚。

でも残念ながら、今日僕がしている行為はごみを増やしたことかもしれない。

そこでまた思う。ごみってなんだ。

僕がゴミだと思ったモノは、誰かにとっての宝なのかもしれない。僕の価値だけでは、世の中を見渡せない。僕の当たり前は、誰かの当たり前ではない。そんなことを学んだばかり過ぎて、まだ腑に落ちてないみたいだ。

自分の生み出すものが、どうなるかは僕にはわからない。

ただ、せめて僕だけはそれを美しいと思っていたい。

そう思いながら、今日はここまでにする。

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まさか、最後まで読んでくれたんですか?

なかなかのモノ好きですね。ありがとう。その「読んだよ」ってことや、「こう思ったよ」って言葉を僕に届けてもらえたらきっと喜びます。

また、会いましょう。

それでは。