ありがとう、また会う日まで|2023.09.12
2023.09.09
僕の生き方を支えてくれた人が
この世を去った。
大切な思い出を、忘れないうちに。
タバコを吸いながらお酒片手に
ジャズを聞いているであろう
マスターへ。
また会う日まで。
*
初めてMarufukuに行った日を
覚えている。
会社員になったばかりの2012年 秋。
僕はギターを弾く場所を求めていて、
飲み屋のお姉さんに「Marufukuがいいよ」と
教えてもらった。
大学から始めたギターで
何かできないかと思っていた。
当時の日記を見つけたので抜粋していく。
***
2012.10.02
「今日が一つのターニングポイントだったと思う。仕事は一通りこなした。メールを送ったりした。夜、ついにMarufukuにいく決意をした。ローソンに行ったり、ちょっと迷って、やめようと思った。おやつ買って帰ろうと思ったら、その金で入ろうと思った。入ってよかった。」
***
よく引き返した。
良い発想だった。
そして、そうか。
マスターと出会ってからもう
気づけば10年が経っていたんだ。
***
**
*
実はこの1回前に、Marufukuに入っている。
昼間だったかな。
なんとなくマスターと話したけど、
自分が音楽をしているとか、
ギターを弾いてみたいとかは何も伝えず。
一歩を踏み出すのが怖くなって帰った(ように記憶している)
コーヒーを一杯飲んだような。
それから、多分1週間くらい。
「ここで演奏をしてみたい」と話をした。
一曲弾いてみるか?
そう言ってもらったように思う。
初めて弾いた曲は、確かギターインストだった。
大学生の頃の練習して覚えたカバー曲。
確かそこにあったギターで弾いてみた気がする。
「中々弾けるなぁ」
そんなことを言われたような、言われていないような。
ちょっと嬉しかったような。
思い出したいのに、
あの頃の記憶はとても遠い。
思い出したいなぁ。
また、マスターと話したい。
*
当日だったかな。
初めてお客さんの前で演奏するのは
すごく、ドキドキしたのだけは覚えていて。
何を話せばいいかわからないまま、
スーツを着た2人組に聞いてもらった。
その日に何を演奏するかも曖昧で、
声も小さかった。ギターの音も。
お酒を飲んでいる人たちの喧騒で
自分の音がかき消されていく思い出も多い。
あの「無力感」は、とても効いた。
どんな気持ちでお客さんと話しただろう。
どんな自己紹介をしていただろう。
その日の僕を遠くから見てみたい。
演奏はいつもマスターの
「そろそろ、いくか?」
で始まった。
20時くらいにお店に行って、
お客さんが落ち着いたタイミングで弾いていた。
それが21時になることもあれば、
22時を過ぎることもあった。
23時になることもあったけど、
0時には店が閉まるからみんなで帰った。
毎週火曜日が、アコースティックの日だった。
常連さんもたくさんいて、
いろんな人といろんな話をした。
ギターが上手な人もいたし、
歌が上手な人もいた。
味わい深い人もいたし、
初めましての人もいた。
いろんな人を包み込んでくれる、
優しい居場所だったと思う。
*
木曜日はJazzの日だった。
自由自在に楽器を弾く人たちがたくさんいた。
ギターが、ピアノが、ベースが、ドラムが。
僕が知らない手数で、楽しそうに踊る。
アドリブとか、ソロ回しとか。
とても楽しそうだった。
強く憧れると同時に、
追いつけない何かがあって。
何度も挑戦したけど、
失敗が怖くてJazzセッションは苦手だった。
ギターのことを教えてもらいにも行ったけれど、
結局続かなかった。
もっとやっておけばよかったな。
今なら、もっと大胆に弾けるかもしれない。
なんてことを、なんとなく考える。
*
相方が鹿児島から来て弾いた。
ゴールデンウィークだった気がする。
二人の演奏をマスターが褒めてくれて、
「お前らは益田のCHAGE&ASKAになれ!」
と言ってくれた。
マスターと2人で会うごとに、この言葉を
聞いた気がする。
僕らはそのまま、2015.05.05。
地域のメンバーに助けてもらいながら
2人で1時間のワンマンライブをした。
ステージングも何も知らないくせに、
チケットを購入してもらって、オリジナルも歌って。
歌ばかり練習して。順番も考えて。
ほんとに、頑張ってた。
だけど思い返せば、
素人に毛が生えた程度だった。
まだまだできることは山のようにあった。
そのことは、そこから4年かけて
たくさんの人たちに会いながら気づくのだけど。
それでも、背中を押してくれたマスターと
聞いてくれた皆さんへの温かさは忘れない。
*
その頃から僕は
仕事を辞めるか本気で悩んでいた。
マスターは何度も話を聞いてくれた。
自分の中途半端なやり方が
どうにも合わなくなっていって、
何度も家族に話そうとして
だけど中々打ち明けられず。
その度にマスターに
「また話せなかった」みたいなことを
言っていた気がする。
それを半年くらい、
もしかしたら1年くらい続けたかもしれない。
マスターはアドバイスするわけでもなく、
話を聞いていてくれたように思う。
2016年に、僕らは年間50本のライブをして
僕は一人でイギリスへ1ヶ月放浪して。
僕は音楽活動ができなくなった。
*
逃げるように、島根から広島へ移動した。
もちろん、挨拶なんでできなかった。
ただただ、上手く生きられなかった。
1年、2年。
確かヒッチハイクをして、
久しぶりに益田まで来た。
マスターはいつもみたいに暖かく、
「いらっしゃい。久しぶりだなぁ」
と笑ってくれた。
お酒を飲みながら話をしていたら、
マスターからこんなことを言われた。
「お前は大学院までいって、24歳で初めて自分で稼いで生き始めた。それなら、今はまだ6歳くらいのものよ。何がわかる。いくらでも失敗してこい」
この言葉が、ずっと心の中にある。
もう12歳になったからね。
その日は片付けを手伝って、
二人で隣の寿司屋に入った。
「好きなものを食べろ」って言って、
マスターは全部ご馳走してくれた。
その後、猫と一緒にマスターで
泊めてもらった。
少し、気持ちが楽になった。
次に会いに行ったのは、
確かそこから2年後か。
*
コロナ禍で店を変えると聞いて、
最後のライブがあると聞いて。
行った店には絵がいくつも飾ってあって驚いた。
話をしたら、「暇だったから書いた」と笑っていた。
上手だった。びっくりするくらい。
そこで初めて、マスターの生い立ちを聞いた。
*
美大を受験しに行った東京。
実技1日目の夜に行ったJazz喫茶が気に入って
二日目の試験に行かずにJazz喫茶へ向かったこと。
そのまま家族には「来年頑張る」と言いながら
Jazz喫茶でアルバイトを続けたこと。
急遽家業を継ぐために益田に帰ってから
店舗をリニューアルする際に
ケーキ屋と並行してJazz喫茶をオープンしたこと。
あぁ、マスターも好きなことしてきたんだなぁ。
それがとても腑に落ちて、
同時に何も知らなかったなぁと思った。
マスターは、いつもマスターだった。
*
今回訃報を知ったのはFacebookだった。
ほとんど開かないアプリを久しぶりに開くと、
そこには2時間前にTさんからの投稿があった。
9月9日に、旅立ったと。
一瞬、理解ができなかった。
だけど同時に、闘病がおわったんだなと。
やっと楽になったんだなと思った。
だけど、「あぁ、もう会えないのか」
そう思いながら、久しぶりにビールを飲んだ。
飲んだら、涙が止まらなくなった。
あぁ、会いたいなぁ。
また、話がしたいなぁ。
まだ何も、報告できてないのになぁ。
ライブをするって約束したのになぁ。
言葉が頭の中でぐるぐる回る。
相方にも、電話で伝えた。
泣きながら、話した。
そして、思い出話になった。
あぁ、マスターがもういないのか。
そして、2日後にある葬儀に向かった。
*
前日に益田に到着して、
思い出の寿司屋で「死神」という酒を飲んだ。
とんでもなく悪酔いして、
車の中で吐きそうになりながら眠った。
翌朝、久しぶりに美都温泉(地元の温泉)へ朝一で向かい
ゆったり風呂に入って着替えをした。
そして、斎場へ向かった。
受付には見知った常連さんたち。
中には猫と一緒に映る笑顔のマスター。
棺には、痩せた、だけど凛としたマスター。
「次に会うとき。いろんな報告があるからね」
棺の横で、マスターの顔を見ながらそう伝えた。
しばらく遺影を見ながら、
いちばん後ろの椅子に座らせてもらった。
あぁ、寂しいなぁ。
益田に来る理由が、一つなくなってしまったなぁ。
マスターと話がしたいなぁ。
そんな言葉が、ぐるぐる。ぐるぐる。
***
**
*
最近、改めて生き方についてよく考える。
昔は自分を責めながら、
何かを成そうと必死だった。
今は力を抜くことを大切にする分、
できない自分と周りの評価を浴びながら
怖さを飼い慣らし続けている。
生きているって、すごいことだと思う。
だけど、中々上手くいかない。
上手くいかないよなぁ。
机をどかして、アンプを置いて。
マイクを繋いでマスターに合図をする。
BGMが小さくなり、僕の声が店内に響く。
雑談を続ける人。
目の前の僕に注目する人。
「皆さん、こんばんは。火曜日はアコースティックナイトということで、何曲か演奏させてもらいたいと思います。ミツヒコと言います。よろしくお願いします」
そう言って、音を鳴らす。
この経験が、僕を作った。
マスターに別れの挨拶をしながら、
不思議と後ろめたさが無かったことが、
今の自分への肯定になった気がする。
それでも、もう一つ何か。
次に会う時までには、
酒のつまみと音楽を。
また会う日まで。