愚かで、儚くも、優しく|アウシュヴィッツ=ビルケナウ強制収容所 2022.12.31

今年も

いろいろありました

 

一つ

また一つ

 

自分自身を顧みては

こんな文字の羅列を書き

誰かの気持ちを

引きずったり

悲しい気持ちに

するのではないか

なんて

 

ついつい

自意識過剰です

 

それもこれも

全部含めて

どうしようもない感情を

消化不良で苦しむ前に

人目につくところに

お供えしている

そんな、かんじ

 

2022年の禊

*

定期的に

無気力

 

向き合えば

向き合うほどに

見えてくる自分の

不甲斐なさと

 

周りに感じる

違和感の正体が

いったい何なのか

 

わからないから

放っておくのだけれど

ただただ横になって

よく眠るのだけれど

 

気付けば

年の瀬に

心も身体も荒んで

身体は、流行病に

心は、自分自身に

 

弱りきって

考えるのは

 

何をするにも

自分という存在は

かくも

儚いものなのか

 

そんなことを思う

年の瀬です

***
**
*

何から書き始めたら

気持ちが少し

晴れるだろう

 

優しく

居たい

美しく

在りたい

 

ことあるごとに

そんなことを考えて

強さとは

少し違うんだよなぁと

弱さは

儚さだよなぁと

毎度毎度

頭の中をぐるぐるぐるぐる

 

同時に

これだけ豊かで便利な

世界に生きている人々が

 

どうしてこんなにも

苦しそうなのか

楽しそうに見せる

上手な情報発信ばかり

 

そんなことに

気づき
傷つき

 

せめて

誰かの役に立てたら

いいなぁと

小さな気づきが

あればいいなぁと

真摯に

頑張っております

*

「穏」という文字を

年始から持ち続け

だけど決して

穏やかばかりではなく

 

正直に書けば何度も

自死と向き合って

さらに言えば

どうしようもない

寂しさや苦しさに

内側を抉られるような

ボロボロの心で

 

だからという

訳ではないけれど

この数週間

何を求める気持ちも無くなっていて

完全な無気力状態になってしまった

 

大体の人は

何か成したいことがあり

今日を頑張って生きている

そのエネルギーを借りて

調子を上げています

 

だけど一人になると

その人たちが扱う言葉や態度を

自分の中に投影して

何をしていたのか

わからなくなってしまい

ひどく苦しんでしまう

 

この反応にはもう

慣れ親しんでいるけれど

それでも苦しいものは

苦しい

*

コトあるごとに

内省をし続け

 

気づき・無批判・慈愛

この言葉を繰り返しながら

ただただ

感じたことを丁寧に咀嚼し

ときには

相手に伝えようと努力する

自分の反応を知り

原因よりも

現状を受け取り

ただ認める

 

だけど

それだけしても

1mmも伝わらないことが

多々あった

特にパートナー関係は

どうにもならない悲しみで

 

どうして

こんなにも伝わらないのか

どうして

そんなに批判的なんだろうか

 

そう思えば思うほどに

自分に対しての

批判が深まっていく

 

「相手は自分を映す鏡だ」
「相手が悪いことは1つもない」
「自分が変わるより、他にない」

相手をただ受け入れたくて

その度に

自己批判を繰り返すほど

弱った

 

弱ったところで

誰も助けには来ない

助けも必要ではない

 

ただ、苦しむことを

自分の気づきのきっかけに

求め続け向き合い続けた

 

だけど

心には限界があった

自死と何度も向き合い

初めて

命の相談ダイヤルへと電話した

 

何度も躊躇い

繋がらないことに安堵し

それでも

やっと吐露した思い

嗚咽を漏らしながら

ただ

話を聞いてくれるだけの人

その存在が

どれだけありがたかったか

「よく頑張りましたね」

 

その一言が

どれだけ救いになったか

 

僕はただ

「そうなんだね」が

欲しかっただけで

批判でもなく

肯定でもなく

 

あるがままを

受け入れて貰いたい

その一心だった

*

本当に、頑張った

認めてもらえなくとも

せめて自分が認めるよう

優しくなりたいと必死で

頑張り続けていたら

壊れた

 

壊れても

死には至らないから

まだ頑張れた

 

結局

頑張れることを

頑張っても

交わらないことだけが

はっきりしていく日々だった

 

この気づきも

万人におすすめするものでは

決してない

*

ヨーロッパにいた間も

以前ほど

心が動かなくなった

慣れてしまったみたいだ

死と向き合おうと向かった

ポーランドでも

 

死が

その場にあった場所

 

今は観光地化した場所で

思いを馳せるには

至らなかった

 

ただ

愚かだな、と思った

それは

自分自身に対してであり

存在することに対してでもあった

 

暖かい食事と、雨に濡れない寝床

着るものにも食べるものにも困らず

家族の近くで生活できている幸せ

 

それを差し置いて

日々の労働に追われ

何かを手に入れようと苦しむ

 

かと思えば

お金によってお金を産み出し

豪華な食事やプレゼントを楽しむ

そんな存在に

なんだか疲れてしまった

 

だけど

その欲深さを

手放せないままの自分がいる

 

これも

また自分なのだと

ただ認めるばかり

*

会話が成り立たない

言葉が上滑りする

 

そして

思考が詰まり

行き場を失い

苦しむ

 

それを

置いておくための

***
**
*

 

More Than Wordsという

言葉に出会った

 

伝わってほしいと思うこと

伝えたいと思うこと

大切に大切に

 

そう思えば思うほど

感情は重く複雑になり続けた

 

わからないことが

わかること

 

わからなかったと

わかること

 

伝わらないということを

伝え続ける

 

理解できないと

理解する

 

結局は誰一人

わかりあうことができない

 

それを

お互いがわかって

それでも一緒にいられたら

 

それがきっと

幸せだと思った

思ったんだけど

 

どちらが悪い訳でもなく

ただそれだけのこと

 

*

もう12月

10月の景色は遠く

重さも解れ始めている

確かに自分が行った場所のはずが

写真を見てもピンとこない

だけど

確かにそこに

僕はいた

この文章は

誰かのためではなくて

 

結局

自分の心を整理するために

必要な場所

 

だけどもし

この文字たちを読んで

何か感じ取ってもらえたら

それを僕に返してもらえると

とっても嬉しい

 

そして

お互いの何かを

少しだけ深められたら

 

そんなことを

思う

***

2022年

今年も

よく頑張った

2023年が来る

何をしようか

 

心地よく

優しく

いられるように